帰り道での脱糞

具体例がないとなんとも言えないなんて甘えるな。

そのくらい自分で想像しろ馬鹿が。

居酒屋は怖い。脂ぎった汚い笑い声や怒鳴り声が聞こえるし、廃油みたいな匂いはするし、地獄のようである。臭い。

脳からなんか出てないと辛すぎる。

不快な金属音にも似た品のない女の笑い声とか、積み重なった固い箱が崩れるような音で笑う中年。掠れた骨と皮ばかりで過去の栄光にすがる生きるしかばね。

気持ち悪い吐きそう入らなきゃよかった相方が見ている帰りたい。

しかし、焼き鳥は美味い。

もも。砂肝。むね。レバー。

焼き鳥丼はいい。肉がプリプリしてて、良い火加減だ。炭の匂いが鼻をくすぐり心まで浮かれてしまうようだ。肉から出た油がご飯を汚しているが、僕の目には匂いもあわさりそれが逆にとてもいやらしいものに写る。

やはり料理は匂いが肝要である。

これまで僕を苛んでいた声が気にならなくなるくらい食べることに集中していた。

丼の中身が残り少なくなった頃、ポツポツと話し出す同席した相手にも居酒屋はいるんだ…なんて言われたが知るか一度踏みとどまったろう後はそっちでなんとかしろ僕は知らん。飯は美味かったから結果オーライであろう。

居酒屋はフーズだけ頼むと赤字になるらしいが(飲料の利益率が高いかららしい)あえてそのまま店を出るファインプレー。

飲む金もないのかよなんて言葉が聞こえてくるようだが心に刺さったそんな棘は無視だ。寝れば大体のことは忘れる。それでいい。

その後甘いものを求めて街を彷徨う。

カフェでパンケーキだ。カスタードソースなんてついてくる。スプーンで掬えるほどプルプルしている。自立できないプリンのようだ。

牛乳珈琲(カフェオレと何が違うのかわからない)も頼んだがこれがまた美味い。うちのと何が違うんだ豆か。苦味はあるのにまろやかで、物足りなさ(どっちつかずな感覚)はない。ミルクがない珈琲も少しだけ飲んだが、こちらはあまり合わなかった。珈琲豆の匂いを求めて店に行くのも良いかもしれない。

こうして、電車の中で食したものを消化し、明日への活力にする。糞も作られているが。

糞があるから明日がある。(要は踏み台)

若い僕には夢がある。(一生目覚めたくはないけど)

いつかきっといつかきっとわかってくれるだろう

(社会が、誰かが。手放しで僕を肯定するのだ)

なんて根拠のない希望に溢れた歌だろう気持ち悪い。

過度な肯定は麻薬と一緒だ。廃人になるぞ。

本当にくだらない。

しかし、糞、死ね、だなんて、なんて小学生染みたブログだろう。ブログは親に似るのだろうか(そもそも直接作り出してるから反映されるのは当然だけど)

精神年齢が小学生止まりなのだろう。

しかし、小学生は優しくもあるし残酷でもある、より正直に生きているのかもしれないという意味では好ましい。

そうして今日も僕は自分というフィルタを通して、汚れた世界を生きているのでした。